CONTENTS people#22 阿部海太郎

個人的に作った音楽が開かれていると分かって。

クラシック音楽の持つ「縛り」にあがき、抗っていた少年は「音楽とは何か」を根底から学び、深く突き詰めることで誰も知らない、新しい世界へ辿り着いた。

母親が小学校の音楽教師で、小さい頃から音楽に囲まれた家庭で育った阿部さん。「母の希望で3才ぐらいからヴァイオリンを習い始めたんです。音楽の英才教育をさせようとしたんですが、本当に大変で。決まり事がたくさんあって、毎日何時間も練習して。小さなヴァイオリンが、涙の跡でいっぱいになるほどでした」

一方、音楽の教養として習っていたピアノは、先生が発表会で弾く曲の希望を聞いてくれるなど、比較的自由に音楽に触れることができた。通常、ピアノ曲はベートーベンなどドイツの作曲家が多いが「それよりも僕はフランスの作曲家のほうが好きで」。ピアノを通じて自分に合う音楽を発見するうち、次第に作曲してみたい、という欲にかられた。それに気づいた母親が、中学生になった時、阿部さんを作曲のレッスンに通わせた。

「これは未だに覚えてるんですけど」と、阿部さんは言う。「自分にはどうしても違和感があり、1回だけで辞めました。そこでは欧州の音楽理論上で曲を作るから“何が理論から外れている”か、を軸に勉強するんです。もちろん必要なことなんですけど、その時は期待に胸を膨らませて何かを作りに行ったはずが、縛られに行ったような印象を受けて。何か違うなと」

演奏する阿部海太郎さんやるならとことん自分で好きな音楽を見つけて勉強しようと、やがて東京芸術大学の楽理科に入学。楽理科とは、音楽史や民族音楽を研究する、実技というよりも、論文を書くような学科。「特に興味を持ったのは、フランスのジャンケレヴィッチという哲学者の音楽論」大学院を含めて6年間みっちりと勉強したが、それでも飽き足らず、フランスへの留学を決意。「もっと本格的に勉強したかったし、フランスの映画も文化も好きだったので」。弾き手としては数多くいるが、勉強のために音楽留学するという日本人はほぼいない。そんな中、阿部さんは研究にひたすら没頭した。

そして、いよいよ日本帰国となった時。「ふと、日本でいろんな方にお世話になった方へのおみやげとして、CDを作ろうと思ったんです。写真を撮る代わりに街の音をレコーディングして、そこに自分がパリで作った音楽も混ぜて、それをパッケージにしようと。これだったら一年の記録にもなるし、みんなに配ることもできますしね」。

それまで人から頼まれたことはあったが、自発的に作曲したのは初めてのこと。「作ることの難しさを知ったと同時に、僕の中ではこの時、初めて出発したというか、それこそ生まれ変わる感じがしたんです」。そうしてできたCDを帰国後、周りの人たちに渡したところ、想像以上の賞賛と共感を呼び、なんとCDの本格リリースが決定。音楽だけでなくファッションやデザインなど、異なる業界からも次々と作曲の機会が舞い込んできた。
「僕はあくまで個人的に、顔が見えてる人達に作ったのが、表現として開かれたものだということが分かって。それが驚きでした」。

SOUNDTRACK FOR D-BROS

“SOUNDTRACK FOR D-BROS”
/UMITARO ABE 2,940円(税込)
架空のホテルを描いた“HOTEL BUTTERFLY”のシリーズ、チョコレートをテーマにした映像作品「欲望の茶色い塊」のサウンドトラック、カップ&ソーサーのために作曲された楽曲などを収録した、渾身の2作目。

阿部海太郎 (あべ・うみたろう)

1978年生まれ。音楽家。自らの作品をピアノ、ヴァイオリン、パンデイロなどで演奏する。 ’03年東京藝術大学大学院音楽研究科修了。 ’05年パリに留学し、その傍ら短編映画などの音楽を作曲。 ’06年、THEATRE MUSICA を設立し、無声映画「東京行進曲」(溝口健二監督)に生演奏をつけるという作品を発表。シアタープロダクツのファッションショーの音楽、D-BROSのプロダクトや映像作品などのイメージ音楽も手がけ、活動の幅を広げている。

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